郊外化が進むアジアのオフィス市場

海外市場調査部 主任研究員   安田 明宏

 2019年10月にシンガポールとクアラルンプールに出張する機会を得た。ホットな話題、現象から今後の見通しを考えるべく、現地で話を聞いていると、両都市ともに郊外のオフィスが話題にのぼった。今後のオフィス市場は、中心部を見るだけでは十分に捉えることができないという。郊外も見るべきだ、と。

 そういえば、空港から中心部の投宿予定のホテルに向かう公共交通機関やタクシーから見えるオフィスなど、気にとめることなどなかった。あったとしても「なぜこんなところにオフィスがあるのだろう」と頭をかすめる程度であった。オフィス市場では「Decentralize(分散)」がキーワードのひとつになっていることは知っていたが、現地で「見るべき、聞くべき、感じるべき」は中心部にプライオリティを置いたままであった。現地の人が郊外も重要だ、というならそうなのだろう。視野を広げる必要がありそうだ。

 オフィス市場で「Decentralize」が注目を集める理由をいくつか考えてみた。まず思いつくのは、都市中心部の過密化である。アジアの大都市の交通渋滞はあまりにも有名である。増え続ける自動車やオートバイで道路は飽和状態である。通勤でのストレスはたまる一方である。都市中心部にオフィスを置かなければならない理由がなければ、郊外に出たほうがストレスは軽減される。わざわざ過密状態の中心部を通る必要がなく、効率もよい。クアラルンプールでは、「中心部にオフィスを構えていると優秀な人材が確保できない」という声も聞かれた。時代は変わり、中心部のオフィスで働くということが一種のステータス、「かっこよく」て「憧れ」であるとも限らなくなった。

 次に、郊外のオフィスのほうが賃料水準は低いという、実質的なコスト面の理由があるだろう。高い賃料を支払ってまで中心部にバックオフィス機能を置いておく必要はない。コスト意識の高まりからオフィスの「適正化」を考える企業が増え、身の丈にあったオフィスが選ばれるようになっている。最近では、フレキシブルオフィスがこうした企業への選択肢を増やしている。実際、郊外のオフィスにもフレキシブルオフィスが入居している。また、同じ賃料を払うのであれば、中心部の築古オフィスではなく、郊外の新築オフィスのほうがよいという考えも出てこよう。

 IT関連、高付加価値関連、スタートアップ関連をはじめとする企業からのオフィス需要も「Decentralize」に影響を与えているだろう。よりクリエイティブな仕事ができ、多様化するライフスタイルに適合するようなオフィスは、必ずしも中心部のオフィスだけではなくなった。働く人のモチベーションと満足度を上げるために、レクリエーション施設が充実しているオフィスを必要としている企業、自然に囲まれた閑静なオフィス環境を必要としている企業などが郊外のオフィスを選好するようになっている。なるほど、これだけの理由が思いつくのであれば、郊外のオフィスにも需要はありそうだ。というわけで、予定を少し変更して、郊外のオフィスを見て回ってきた。

 シンガポールにある郊外のオフィスエリアとしては、Pasir PanjangやOne-North、ChangiやPaya Lebarなどがあげられよう。Pasir Panjangの代表的なオフィスはMapletree Business Cityである。キャンパススタイルのオフィスで、IT関連、医療・製薬関連などの多国籍企業が入居している。飲食店、商業施設に加え、スポーツ施設(テニスコートやジムなど)、クリニックや保育所などが併設されており、共用スペースも広く取られている。One-Northでは、2001年から高付加価値産業の育成を目指す研究施設およびビジネスパークの開発が進められている。多くが竣工を迎え、既稼働となっている。最近注目を集めている郊外のオフィスエリアといえばPaya Lebarである。Changi Airport(チャンギ国際空港)と中心部(Raffles Place、Tanjong Pagarなど)の中間に位置し、2019年にPaya Lebarの中核となる複合施設(オフィス、商業施設および住宅)であるPaya Lebar Quarter(PLQ)が竣工した。2018年6月時点のオフィス部分のプレコミット率は80%と高かったことからも、郊外オフィスの関心の高さが窺われる※1。PLQには、グローバルな不動産仲介企業も入居しており、郊外での不動産需要に期待した動きとして捉えられている。

 クアラルンプールでも郊外にオフィスエリアが広がっている。古くは政府機関が集まるPutrajayaやIT関連企業が集まるCyberjayaが注目を集めたが、最近は、さらに郊外へと広がりを見せている。Mid Valley、KL SentralなどがKLCC(クアラルンプール中心部)から比較的近い郊外のオフィスエリアであろう。Mid Valleyは1999年にオープンした商業施設であるMid Valley Megamallを中核とするエリアで、Centrepoint South/North TowerやMenara IGBといった2000年代に竣工したオフィスがあるほか、ここ数年でMid Valley MegamallとRapidKL(鉄道)のAbdullah Hukum駅の間にも新しいオフィスビルが開発されている。KL SentralはKuala Lumpur International Airport(KLIA、クアラルンプール国際空港)をつなぐ鉄道の発着駅で、オフィスが集積するエリアでもある。2000年代に竣工した1 SentralやPlaza Sentralといったオフィスがあるが、多くは2010年代に竣工を迎えたオフィスが多い。なお、新しい国際金融エリアとして開発が進められているTun Razak Exchange(TRX)は、KLCCから離れており、現在は郊外オフィスエリアとしての位置づけでもよいが、将来的にはKLCCの延長線として捉えられることになるだろう。Sungai Besi Airport(スンガイベシ空港)跡地を利用した大型再開発事業であるBandar Malaysiaも注目を集めているが、オフィスの位置づけが定まるにはまだ時間を要する。シンガポールとクアラルンプールの郊外オフィスを見て回ってわかるのは、昨今、急速に開発が進んだとは限らないということである。One-NorthやKL Sentralは10年から20年前にすでに動いていた計画である。新しいオフィスエリアが注目を集めるのは当たり前であるが、既存の郊外のオフィスが新しい動きの中で「再評価」されている点は見逃せない。

 出張から戻り、ほかのアジアの都市では郊外のオフィスがどうなっているのか考えを巡らした。過去に書いたレポートを見てみると、北京については、麗澤金融商務区について取りあげていた※2。麗澤金融商務区は西二環路、西三環路付近にあり、地理的には中心部に位置づけられる立地であるが、周辺は古い住宅街で中心部との連続性は薄く、扱いとしては郊外のオフィスに近い。バックオフィスやフィンテック関連などからの需要が見込まれる。マニラについては、Bonifacio Global City(BGC)について取りあげた※3。Makatiがマニラ首都圏の中心部であるとするなら、BGCは郊外オフィスと位置づけられるだろう。マニラ首都圏は、各サブエリア間の交通アクセスが悪く、それぞれが独自色を出している。BGCはBPO産業の集積地で、新しいオフィスで働くことができる環境整備が人材確保に重要な役割を果たすといわれている。最近では、オンラインカジノ企業からの需要が厚いBay Areaにもオフィスが集積しつつある。

 過去に訪問したことのある都市を振り返ってみると、台北は、内湖がIT関連企業の集まる新興オフィスエリアとして発展しているし、台北捷運(鉄道)の南港駅周辺にも企業のバックオフィスが入居するオフィスが散見される。ソウルは、Pangyo(板橋)のPangyo Techno ValleyがIT関連企業の集積するエリアとして知られている。2010年以降に次々とオフィスが竣工を迎え、現在、空室はほぼ見当たらない状態である。上海は、後灘や徐匯濱江が新興のオフィスエリアとして注目を集めている。地下鉄の開通により、通勤の交通利便性が向上している。香港はKowloon East(九龍東)が新興のオフィスエリアとして再開発が進められている。老朽化した工業ビルが再開発で新しいオフィスビルに生まれ変わり、バックオフィス需要や大規模スペースを必要とする企業からの需要を吸収している。ジャカルタはSudirmanやThamrin、Mega KuninganやGatot Subrotoといった中心部でのオフィス開発が続く一方、工業団地にアクセスしやすいJakarta Selatan(南ジャカルタ)のSimatupangやJakarta Barat(西ジャカルタ)のKembanganなどでも郊外オフィスが出現している。バンコクでは、PaholyothinやRama 9、Bang Naなどで郊外オフィスが見られる。鉄道路線の広がりや交通渋滞を回避できること、賃料水準が低いことなどで選好されている。

 筆者にとってアジアの主要都市で見られる郊外のオフィスは、各都市の個別事情から存在するものとして理解していた。都市にはそれぞれの特色があり、たどってきた歴史も置かれた政治・経済環境もバラバラなはずだから、まずは個別に特性を理解しなければならないと考えていた。郊外のオフィスエリアが生まれる背景は都市ごとに異なるとはいえ、ここまでさまざまな都市で共通した現象となると、アジアのオフィス市場を考えるうえで「Decentralize」を重要な視点として組み込む必要がある。欧米ではすでに当たり前なことなのもしれないが、アジアの郊外オフィスはまだまだ歴史が浅い。これから「Decentralize」が本格化するだろう。

 中心部から郊外にオフィス需要が流出する理由はすでに上述したが、将来、「やはり異業種が多く集まる中心部がよい」「中心部の賃料が下がってきて手が届くようになった」「企業のステータスを保つにはやはり中心部のオフィスが必要」といった理由から、逆に需要が郊外から中心部に戻る動きが出てくる可能性も十分にある。中心部と郊外をつなぐ道路や鉄道網といった交通インフラの進展は、オフィス需給の活性化に寄与することから、注目すべき動向となろう。「中心部」と「郊外」を対比させ、その中で起こるダイナミックな動きを意識する必要がある。

 アジア主要都市の中心部では、オフィスの開発余地がだんだんと少なくなってきている。今後、多くの都市で、オフィス供給の中心となるのは郊外であろう。シンガポールでは、2023年以降、郊外のオフィスはオフィスストック全体の30%近くを占める見込みである※4。他の都市でも決して無視できる存在ではなくなるはずだ。空港を出たところからすでに、「見るべき、聞くべき、感じるべき」は始まっているのである。


※1 Singapore Business Review, "80% of Paya Lebar Quarter already pre-leased" ,12th June 2018(2020年1月22日確認)
※2 三井住友トラスト基礎研究所「中国:大量供給を迎える北京のオフィス市場」(2018年2月5日)
※3 三井住友トラスト基礎研究所「フィリピン:BPO産業が牽引するオフィス需要」(2016年8月18日)
※4 The Business Times, "Decentralisation to dominate office market in next decade", 13th Sep 2018(2020年1月22日確認)

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