豪州レンタル・クライシスと住宅政策の転換

海外市場調査部長 理事     伊東 尚憲

 先日、豪州に出張する機会を得た。シドニー中心部はオフィスワーカーや観光客などでにぎわいを取り戻し、鉄道新線の工事や複数の大規模ビル開発が行われており、コロナ前の高成長路線に戻っていることを実感できた。そんな豪州滞在中に、あちこちで耳にしたのが「レンタル・クライシス」という言葉である。「家賃を2割強値上げする通知が来た」、「オーナー親族が住むので30日以内に賃貸住宅から退去するよう通告された」、「次の住まいを探しているが条件に合う物件が見当たらない」など、賃貸住宅市場が危機的な状況にあるというものである。コロナ後に海外からの移民や留学生が戻ったことで賃貸住宅需要が急速に拡大、建築コスト高もあって新規供給が少なく賃貸住宅ストックが増えない中で、一気に需給がタイトになったことが原因である。実際、賃貸住宅統計を見ると、シドニーの7月末空室率は1.6%とほぼ空室のない状態で、8月の平均募集賃料は前年同月比+19%と大きく上昇している(SQM Researchデータ)。

 豪州は年率1.0~1.5%と高い成長率で人口が増加し、毎年14万世帯が増え続けている。地理的制約や都市計画で開発可能な土地が限られ、建設許認可にも時間がかかることなどもあり、これまでも常に住宅不足が課題となっていた。加えて、初回住宅取得者への取得税軽減、自宅以外の住宅にも適用できる譲渡益課税の軽減措置、賃貸収支を給与所得に合算できるネガティブギアリングと呼ばれる制度、相続税や贈与税が存在しない、など住宅取得を優遇するさまざまな税制が存在している。結果、持家率は63%と日本と大差ないが、戸建住宅比率は71%と非常に高い。さらに総世帯数の21%が自宅以外の住宅を保有しており、賃貸住宅ストックの8割強は個人オーナーの所有である、といった豪州住宅の特徴を形成している。近年、こうした政策の弊害が目立つようになってきた。住宅価格は高騰し、手ごろな住宅を購入するにはかなり郊外まで行かざるをえない。結果、都市のスプロール化が進行している。また、レンタル・クライシスと言われるような賃貸住宅市場の混乱にもつながっている。

 そんな中、住宅関連の新たな政策が相次いで報道されている。連邦政府主導による都市計画規制の見直しや、容積割り増しの動き。しっかりと管理され長く安心して住み続けることのできる賃貸住宅BTR*1供給拡大のための各種税制優遇措置の導入。賃借人の権利強化のための規制。若者やエッセンシャルワーカーがきちんと住まいを確保できるよう公有地の供給や、デベロッパーへのインセンティブ付与などが打ち出されている。これまでの住宅政策は、いかに国民に住宅を取得させるかに主眼がおかれたものであったが、今回発表されているものを見ると、需要拡大に見合った住宅ストックの確保が喫緊の課題とされ、持家から賃貸住宅へ、戸建住宅から中高層集合住宅へ、郊外居住から都市居住へ、など供給サイドを刺激する内容に変化していることに注目している。こうした政策転換をきっかけに、豪州住宅市場が大きく変化し、豪州住宅ビジネスのあり方も一変する可能性は高いと見ている。


  1. ^BTR(Build To Rent)は不動産会社が開発・保有・賃貸する専用マンションで、日本における賃貸マンションのことである。豪州では税制等の関係で法人による住宅の長期保有が難しかったこともあり、豪州BTRストックは5,000戸程度(賃貸住宅の0.2%程度)とまだまだ市場は小さい。

(株式会社不動産経済研究所「不動産経済ファンドレビュー 2023.9.15 No.641」 寄稿)

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