英国総選挙特集 政策の行方と不動産市場への影響
① 経済財政運営と移民政策

海外市場調査部 主任研究員   深井 宏昭

 英国のスナク首相は2024年5月末に議会を解散し、総選挙を同年7月4日に実施することを発表した。直近のインフレ率(前年同月比)が目標の2%近くまで減速したほか、発表された2024年Q1のGDP成長率(実質、前期比)が0.6%と2022年以降で最も高い値となるなど、経済指標が改善したことを好機と捉え、解散に踏み切った。
 しかし、足元では与党保守党に対する風向きは非常に厳しい。2024年に入って実施された地方選挙や首長選挙などでは、野党労働党の圧勝が続いている。また、総選挙発表後に実施された世論調査でも、労働党支持が優勢な状況が続いている。Financial Timesが実施した直近の世論調査(2024年6月19日実施)によると、労働党への投票意向を持つ有権者の割合は42.0%で、保守党の21.4%を大きく上回っており、14年ぶりに労働党が政権を奪還する可能性が濃厚な状況となっている。
 本レポートでは、英国総選挙に向けた、保守党および労働党の二大政党におけるマニフェストの内容、並びに英国における今後の政策の行方について、主に英国不動産市場に与える影響を全3回に渡って見ていく。第1回では、選挙の最大の争点として注目される経済財政運営および移民政策に関して、各党の主要な公約を整理するとともに、総選挙後の不動産市場における影響を示す。第2回では住宅政策、第3回ではネットゼロを始めとする環境政策に焦点を当てる。

● 経済財政運営
 まず経済財政運営について見る。足元の英国経済は、インフレが減速に転じているほか、各種景況感指数も改善に向かうなど、景気底入れの兆しが見えている。一方で、パンデミック中からの政府支出増大もあり、近年では政府債務の対GDP割合が上昇している。2023年末における政府債務残高の対GDP割合は101.3%で、前回総選挙が行われた2019年末から15.6ポイントも上昇した。今回の総選挙では、累積した政府債務を減らしながら、どのように英国経済を成長させるかに注目が集まっている。
 今回の選挙における両党のマニフェストをまとめると、図表1のようになる。与党保守党は、減税による生活支援と債務削減による財政健全化の両立を掲げた。マニフェストでは特に減税を前面に押し出し、長期的に全国民の健康保険料の徴収を廃止する方針が示された。手始めに2027年4月までに、雇用者における健康保険料負担率を現状の8%から6%に引き下げるほか、現在の負担率が13.8%の自営業者においては2029年までに保険料の徴収を廃止する。また、年金受給者における非課税所得の枠を拡大させ、国民年金受給に課される所得税を実質的にゼロとする方針も掲げた。支持基盤である高齢者への配慮が見て取れる。歳出については、福祉関連予算を大幅に削減するほか、公務員の人員整理などの措置を実施することで、債務の削減を目指す。
 対する労働党は、前回の2019年総選挙では党内左派のジェレミー・コービン党首のもと、積極財政政策を前面に押し出した活動を展開したが、この選挙において大敗を喫し辞任した。現党首のキア・スターマー氏は中道派として知られ、経済政策においてもそのスタンスは保守党に比較的近い。今回発表された労働党の公約でも、今後5年間で政府債務を縮減していく方針が掲げられるなど、保守党の政策と近い部分が多く見られる。一方、保守党と対照的に、労働党のマニフェストでは減税については言及していない。また、これまでVAT(付加価値税)が課されていなかった私立学校授業料におけるVAT課税や、外国人が不動産を購入する際に支払う印紙税率の引き上げなど、より財政の健全化に軸足を置いたスタンスがとられた印象を受ける。

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● 移民問題
 経済対策に次いで注目を集めるのが、移民問題である。英国への移民数は、パンデミックおよび英国のEU離脱に伴い、2019年から2021年にかけて、EU出身者を中心に大きく減少した。しかし、以降は政府による移民奨励政策により、アジアやアフリカを始めとするEU域外から英国に移住する外国人の数が急激に増加している。前回総選挙が実施された2019年には年間78.8万人だった英国への移民流入数は、2023年には年間121.8万人にまで大きく増加した(図表.2参照)。合法的に移住する移民の数だけでなく、不法移民の数も増加傾向にある。近年社会問題となっている小型ボートによる密入国問題では、2023年には年間3万人の密入国者が摘発された。
 近年の移民増加によって、NHS(National Health Service)や賃貸住宅を始めとする社会サービス需要が急速に増加し、サービスへのアクセスが難しくなっていると指摘されている。また、不法移民の国内一時滞在などにおいて多額の税金が支出されていることが取り沙汰されるなど、最近では移民増加の弊害がクローズアップされ、今回の総選挙においても移民対策が主要な争点の一つとしてあげられるようになった。移民に対する不満は極右政党の支持につながりやすい。直近で行われたEU議会選挙では、ドイツなどで極右政党が大幅に躍進。英国でも、移民削減を推進するReform UKの支持が広がっており、直近の世論調査では、支持率が14.4%に達し、労働党、保守党に次ぐ三番目の支持を集めるなど、世論全体が右傾化している兆候が見られる。

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 移民問題に関する両党の政策をまとめたものが図表.3となる。移民に対する不満の高まりを受け、今回のマニフェストでは保守党、労働党ともに、移民削減の立場を掲げており、経済対策同様、両党の政策的距離は比較的近い状況と言える。ただし、移民削減に対する姿勢は保守党においてより強い。スナク首相は2023年に移民の制限に関して規制を強化したが、今回のマニフェストでも、規制強化の方針が示された。具体的には、移民の流入数に毎年上限のキャップを設けた上で、毎年その水準を引き下げていく政策などが掲げられた。なお、不法移民対策としては、以前から党内でも賛否が分かれる、不法移民のルワンダへの定期的な強制移送の実現を公約に盛り込むなど強硬な姿勢が見られた。
 一方の労働党のマニフェストでは、直接的な移民削減に向けた政策を展開する保守党とは別のアプローチを採用。海外労働者への依存度を減らすため、雇用不足に直面している産業(医療、社会福祉、IT、建設、エンジニアリングなど)において自国民の技能改善に向けた取組を実施することが示された。しかし、保守党のように移民の上限を設けるなどの具体的な数値目標の設定に関しては言及せず、移民削減への姿勢はソフトな印象を受ける。不法移民対策では高コストなどを理由にルワンダへの強制送還制度を廃止。代わりに国境警備司令部を創設し、小型ボートによる入国阻止および国際的な不法入国ビジネスに関与する犯罪集団の撲滅を目指す方針などが示された。

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● 不動産市場への影響
 選挙後の経済財政運営と移民政策が不動産市場に対してどのような影響を与えるか考えてみたい。
 まず、経済財政運営関連で大きな影響があるものとしては、外国人富裕層や外国人投資家に対する税制があげられる。マニフェストでは、保守党および労働党ともに、外国人富裕層(Non-dom)が英国外で得た所得に対して課税を強化する方針が示されている。政府統計によると、Non-domの地位を持つ人数は2022年に7万人弱に及び、その多くはロンドン中心部に居住しているとされている。英国における課税強化により、彼らの多くが税金の低い他国に住む場所を移した場合、ロンドン中心部の高級賃貸住宅など一部のアセット需要に影響が生じる可能性がある。労働党政権になると影響が大きくなりそうなのは、マニフェストに掲げられている外国人投資家に対する印紙増税である。これにより海外の個人投資家が高級住宅を取得する動きが抑制されるといった可能性が考えられる。
 次に、移民政策を見ると、保守党、労働党ともに移民問題に対する政策的な立ち位置は比較的近い。いずれの政党が政権を取っても、総選挙後は移民数を抑制する政策が採用される可能性が非常に高く、学生・労働者ともに英国に居住するハードルは今後徐々に高まっていくと見られる。特に近年、英国において急速に拡大してきた賃貸住宅セクター(BTR、学生用住宅など)は海外からの移住者によって需要が支えられてきた側面が大きい。今後は、将来的に一層厳しい移民政策が採用される可能性も考慮し、より選別的な投資が必要になると見られる。
 移民政策は不動産の供給面にも大きな影響を及ぼすと見られる。EU離脱に伴い、それまで英国における建築産業を支えてきた東欧系移民の多くが帰国したことで、2021年にかけて国内の建設産業における労働者数は大きく落ち込んだ(図表.4参照)。近年では移民の数が増加しているにも関わらず、同産業に従事する労働者の数は低位で推移しており、建設現場における人手不足によって工事が遅延する現場が増加している。今後ビザ支給要件の厳格化が進むことで、建築現場における労働者確保はさらに難しくなることが予想され、供給制約は一層高まる可能性が高い。労働党が掲げる自国民の技能改善に向けた取組は、花が開くまでに長い時間がかかることが想定され、短期的な問題解決には結びつきにくいと考えられる。建設労働者不足は、インフラの整備や住宅供給の増加などといった重要な政策目標達成にも大きな影響を及ぼすことになる。不動産市場(建設産業における労働力不足)の立場から見れば、移民抑制策はいずれ立ちゆかなくなり、将来的に方向転換が行われる可能性も考えられる。

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